夏の家族イベント

毎年、夏に続いているイベント、BBQ。BBQとは言ってもジンギスカンを中心の炭火焼きに参加者による持ち寄りのお料理が並びます。父方のいとこ、母方のいとこまでの声掛けで、お盆やお正月をまとめたようなちょっとしたイベントとなっている。子ども達も成長が進み、最年少5歳から最年長17歳まで。2年前に我が家の犬が初参加、今年は5か月の犬が初参加とメンバーも毎年少しずつ変化してきている。子ども達が大きくなり、日程調整が大変になっていて、今年は日曜日に開催することになり、土曜日開催だと参加しにくかったという叔父が久しぶりに顔を出してくれたりした。

お肉を炭火で焼くのもいいのですが、持ち寄りのお料理も楽しさを加えてくれて、毎年定番の叔母のシフォンケーキ、妹のいなり寿司など昭和の運動会のようでもある。今年は、いつも和風の惣菜やサラダ、さまざまなおかずを作ってきてくれる家族が来れなくなってしまったので、どんな感じになるかと思いきや、定番ミモザサラダや葉物サラダ、仙台勤務になった家族からの牛タンや、途中からサムギョプサルやトルティーヤ、自家栽培の枝豆なども登場して、賑やかになってきた。我が家では、昨年は焼きたてピザが好評だったので、今年は調子が上がってきた天然酵母パンで、サンドができるようにバーガーバンズとフォカッチャ、くるみパンを準備。いただきものの糠ニシンを使ったマリネ、身欠き鰊の燻製、その他燻製(くるみ、チーズ、鯖ソテー、茹でたまご)に挑戦してみました。ロースターでスペアリブを焼いたりしたので、炭火の方は、ジンギスカンに手をつけることなく、いつもと少し違う感じで終わりました。

例年にない暑い夏もピークを越え、日陰になる裏庭でワイワイと15時から20時までの楽しいひと時を過ごすことができました。年一回だからできる家族イベント、来年また元気に顔を合わすことができることを期待しながら、亡き祖父母が植えた木々と大きく成長した栗の木に囲まれた2025年8月の夏でした。

卒業、そして掃除の春

以前から、寒い北海道で年末の大掃除をすることがいかに非効率であるかということと、帰省を言い訳に、幼い頃家族でしていた年末の掃除をサボってきた。

では、いつ掃除をするのがいいかと気にしつつも、ついつい日々の生活に追われ、ブラインドもどこも埃だらけ。我が家の鼻水の原因はこの埃ではないかと思うとなおさら気になってきて、ついに年度末にブラインドの拭き掃除を始めてみました。

一人で掃除だけをしていると、疲れてくるし、ちょっとイライラした気分も湧いてくる。先日研いでもらったペティナイフが切れすぎて、洗っている時に親指を切って流血した傷がまだ不安定なので、ゆっくり休みながら。

最近着た和服と、入学式でのコーディネートを決めたり、途中、図書館で借りた「自分で学ぶひと」(鷲田小彌太著,五月書房,1995)を走り読み。巻末には、1995年4月8日第一版とある。ちょうど、30年前、オウム真理教による地下鉄サリン事件の後、教祖であった麻原彰晃が逮捕される間に発行された本だということを知る。私は大学生活を悶々と過ごしていた頃。

今、読み終わった範囲では、「独学で学ぶなら、基礎学力をつけてから」と書かれている。

専門に進む前に、読み書きにあたる基礎を学ぶ大学のカリキュラムに対応していると、今なら素直に受け入れることができる話。

ところが、目的がないとこれは苦痛でしかない。娘は卒業式を終え、家では自由に過ごし、ほとんど好きなこと以外は自分からやらないで心配になることも多いが、学校や祖父母宅ではいろいろ気づいて行動していると聞くから、家では最低限のことができるようにと考えるようになってきた。

これから、新しい生活がはじまる。

ひと息の後は、掃除の続き。

五稜郭タワーから
たまたま見つけた死刑制度を考える講演会に行ってみたいという娘

如月去る

昨年12月から金曜午前は1時間の体操に通っている。とてもゆるい体操ですが、身体の捻じれをとり、凝り固まった筋肉をほぐしてくれる。そして、元薬剤師でもあり、健康寿命を少しでも伸ばすことを目標として体操を指導してくださっている先生に生活習慣の細かい疑問を投げかけてみたりできる貴重な時間となっている。

さて、2月はひたすら天草陶石で内型成形による楕円皿を成形していたものの、3週目くらいから、検診やら学校の行事やらで、外出が増え、どうもペースが崩れてきた。ペースが崩れる前提で計画は立てているが、それにしても、気持ちが中途半端。いろいろと原因を探るけれど、結局のところ、ただ作っているだけでは、作業が進むことに満たされてくるが、孤独な作業だけに、張り合いがなくなってくる。

体操の帰り、一緒に通っている友人と共に進める制作について話すことで、さまざまな課題が少しずつクリアになってきた。

三十路の手習い—あの菱形の向付の原型を取り組んでから20年。まさか、こんな形で土に触れて癒され、そして、試される日々を過ごすことになるとは想像もしなかった。身体の限界はいつやってくるかわからないと思うからこそ、今できることを粛々とすすめる、そう思うとやるべきことが見えてくる。

同型問題〜ー

今朝、自分のために、とても満たされた朝食の準備を終えて席に着いた時にふと思いついた変なことを記しておく。

昨日は日中イベントに参加し、夜は初めて北海道に来るという義従兄弟夫妻を招いて、我が家で食事した。幸い天気にも恵まれ、星空も見られて、タクシーを待つ間に焚き火もすることができた。その夜の準備や片付けはほぼ夫がしてくれたので、朝乾いた食器を収納したり、ひと仕事してからの朝食である。

前置きが長くなってしまったが、そういう作業をしている時、今何時か?ということを忘れて無心に作業してしまうことがある。先ほどこの思いつきを残しておこうとスマホをみて、はじめて「ああ、もう8:30か」と時刻を意識した。朝食の準備も含めて1時間以上作業していたことになる。

先日、時間の管理をもっとシビアにしてほしいと言われたので、そのことが引っかかってもいるのですが、何かに集中している時、今何時か?ということが抜けることがある。そして、作業中は小さな時計を近くに置いたり、アラームを設定したり、注意深く意識しないと、容易に時刻を確認できなかったりもする。

そのことを考えていると、ふと、これはお産も一緒だな、と感じた。お産は誰もがいつ産まれるかわからないと思っているから、それがいつになっても許容できるが、例えば、家事に関しては、毎日やって当たり前という潜在意識から、家事をいつ中断し、他の用を足すことは当たり前に可能であり、そのタイミングもいつでも可能と思ってしまう。

短時間の家事(主として子どもへの夕食作り)は、かなり頭を使い、手順を考えながら行う作業。

これは、お産と同じくらい時間の意識を超えてしまうこともあり得ると私は思う。

さあ、朝ごはんを食べてしまおう。

保留事項

大学を卒業して、26年間保留にしていたことがあった。必要ないから保留にしたことではあったが、一度再び手続きしようとした時には、制度が変わっていて、新たに講習を受けなければならないことを知り、そこまでの必要性もなく、保留。最近になって、再び制度が変わり、講習制度はなくなったことを知った。

今、問い合わせると、卒業時とほぼ同じ手続きでできることがわかった。今後、どんなふうに制度が変わるかはわからない。ということで、約7,000円の手続き料を支払い、免許を得る手続きを終えた。

申請年月日は、令和6年6月6日。

免許なんて、関係ないけれど。

さあ、午後からは、3Dプリンタで内型づくり!