今朝、自分のために、とても満たされた朝食の準備を終えて席に着いた時にふと思いついた変なことを記しておく。
昨日は日中イベントに参加し、夜は初めて北海道に来るという義従兄弟夫妻を招いて、我が家で食事した。幸い天気にも恵まれ、星空も見られて、タクシーを待つ間に焚き火もすることができた。その夜の準備や片付けはほぼ夫がしてくれたので、朝乾いた食器を収納したり、ひと仕事してからの朝食である。
前置きが長くなってしまったが、そういう作業をしている時、今何時か?ということを忘れて無心に作業してしまうことがある。先ほどこの思いつきを残しておこうとスマホをみて、はじめて「ああ、もう8:30か」と時刻を意識した。朝食の準備も含めて1時間以上作業していたことになる。
先日、時間の管理をもっとシビアにしてほしいと言われたので、そのことが引っかかってもいるのですが、何かに集中している時、今何時か?ということが抜けることがある。そして、作業中は小さな時計を近くに置いたり、アラームを設定したり、注意深く意識しないと、容易に時刻を確認できなかったりもする。
そのことを考えていると、ふと、これはお産も一緒だな、と感じた。お産は誰もがいつ産まれるかわからないと思っているから、それがいつになっても許容できるが、例えば、家事に関しては、毎日やって当たり前という潜在意識から、家事をいつ中断し、他の用を足すことは当たり前に可能であり、そのタイミングもいつでも可能と思ってしまう。
短時間の家事(主として子どもへの夕食作り)は、かなり頭を使い、手順を考えながら行う作業。
これは、お産と同じくらい時間の意識を超えてしまうこともあり得ると私は思う。
さあ、朝ごはんを食べてしまおう。