
径 約五寸(15cm)高さ(4.5cm)深さ 約一寸(3.3cm)

手づくりの器ができるまで〜使ってみる

径 約五寸(15cm)高さ(4.5cm)深さ 約一寸(3.3cm)
私たちは、何かに囲まれて暮らしている
物質的には、空気(N2,O2,Ar,CO2,…)、水、土壌、木、草、花、、、
人的には、家族、仲間、気になる存在、、、
本や音楽、映像、歴史などにも囲まれているそういうのは、文化的と括られるのかもしれない
日本国憲法に基本的人権の尊重というのがある、と中学生の時に習った気がする
AI検索結果
憲法は、国民主権・平和主義と並ぶ根本原理として基本的人権の尊重を掲げています。
憲法で「文化的」という言葉もあった気がする
AI検索結果
* 憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、生存の維持だけでなく、一定水準以上の文化的生活を含めた「生存権」として保障しています。
* ここでの「文化的」とは、単に衣食住を最低限満たすだけでなく、人が社会の一員として、人間の尊厳を保ちながら生活し、教育・教養・文化活動などにも参加できるような生活水準を含む概念と解されています。
https://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6187.html
世の中には、いろんなことを考えたり、実行している人がいるんだなあ、と思う時がある
子ども時にはインターネットの世界が存在しなかった
調べることが可能な多くのことが本や新聞、テレビ、ラジオなど、なんとなく限られた範囲のことで、そういうことも知らないで生きている
調べることが好き
道を歩きながら、何かを探していたら、1時間の道のりもあっという間の時があったなという幼い時の記憶
調べたり、作業に夢中になると、日付を跨いでいたという20代、30代
ふとした時に、立ち止まってみて、原点の位置を確認する
理解が困難になってきた時には、ひとつの要素を変えてみるとか、わかりやすいパターンと比較して何が違うのかを考えるとか、似たもの同士をグループ化してみるとか、拡張してみるとか、絵に書いてみるとか、言葉にするとか、新しい言葉を作ってしまうとか、…
知らない世界を知りたい、理解したいというのは、人間の本能だと思う
だから、一歩戻る
言葉が壁なら共通の言語を学ぶ
いろいろ迷って、何をやっているのかわからないと感じることがある
でも、大丈夫
でも、大丈夫って自分でいう時は大丈夫じゃないらしい
そんな気づき
自分じゃない誰かが周りにいる
今日、白石れんこんと下妻のさつまいもがやってきた
そんな食材に囲まれている
ふとした時に、やっぱりこの本は自分の近くに置いておきたいと思う
文化とか文学とか、そういう括りにあまり興味がないと思っていた
それは、周りに自然に囲まれているもの、あたりまえの存在すぎて
春から月1回、遊歩道を登って観察した野花たちの写真展を11/18-22に長沼町ギャラリーで開催した。ゆっくり歩いて観察した植物は、毎回30種余り。8名の写真、文章あり、短歌あり。
思っていた以上に愉しい企画になりました。





10月末の雪に冬の訪れを急かされて、今週は、計画的に作業を進めることができた。
3パターン、長石と灰の調合比率を変えた釉薬の試験を21種。
ゼーゲル式による釉薬の適合範囲から、
(0.1KNaO-0.9CaO)
(0.2KNaO-0.8CaO)
(0.3KNaO-0.7CaO)
となるように、長石(KNaOを含む)と灰(CaOを含む、今回はメロン灰)の酸化物の成分比率から逆算して、構成比率を算出。
ゼーゲル式の理解には化学の基礎知識が必要で、便利な算出シートなども配布されているけれど、復習も兼ねて、約30年振りに分子量やモル(mol)の計算をする自分用の計算式を作成した。30年前は手計算だったから、大変だったが、計算式を一度作ってしまえば、パターンを変えて計算するのはあっという間に完了する。
基本の構成比率で調合したものとカオリン(2%刻み)、珪石(5%刻み)の3成分で釉薬の試験を行う。
昨年試験した時には、基本の構成比率は(0.3KNaO-0.7CaO)に近い一種のみで、カオリン(2%刻み)、珪石(10%刻み)で行って、よい釉調のものを調合してみたが、焼成温度が低かったのか、前回の焼成では貫入と乳濁が入ってしまった。今回は、試験範囲を広げ、焼成温度を30℃上げてみることにした。
過去に別な釉薬でも想定していた焼成温度(過去に父がやっていた時の温度)で釉薬が熔けなかったことがあったため、焼成温度も上げることにした。
テストピースのための本焼きは、あと5時間還元焼成後、24:00に終了する。
3日後の18日窯出し。
立ち止まる→考える→軌道修正
しやせまし、せずやあらましと思ふ事は、おほやうは、せぬはよきなり。
(一つ。やろうか、やめようか迷っていることは、通常やらない方が良い。)
吉田兼好 徒然草 第九十八段
毎年季節が巡るのと同じように、やってくるサイクル。
成形→乾燥→素焼き→施釉→本焼き
この周期の間に、気を遣うこと「丁寧に」「美しく」「大切に」が抜け落ちると好きになれなくなってしまう。
たくさんはできない、いつまでできるかわからない。
今できることを形にしたい。
7月の本焼きは、今までで一番壊滅的だった。
初めて作った磁器の楕円皿の形が良くなくて、ほとんどが撓(たわ)んでしまった。撓む〜の意味のとおり、お皿の腰の部分が高温(1270℃)で焼成した時にしなやかに曲がってしまい、棚板に釉薬が張り付いてしまった。
運が悪いことに、今回は窯の中の温度ムラを調べる目的で、同じお皿ばかりを一度に焼いていたから、全ての段で、棚板に張り付いた釉薬を削ることになった。
素地の変形が原因か、釉薬の調合が原因かは不明ながら、ほとんど全てに貫入(ひび割れ)が入ってしまった。
というわけで、釉薬の調合試験を範囲を広げて再度行うことと、以前他の釉薬でも過去の窯の焼成温度との温度差があったことから、焼成温度を上げることになりました。
8月末には、次回行う釉薬の試験の計算を終え、
21種×3パターン=63個のテストピースの成形をして、夏場に行っている轆轤成形で、ご飯茶碗と煎茶碗を作成、「萌木」と呼んでいた紋様を入れて、表面を削ったりしていた。
9月は夏の疲れが溜まったのか、10月上旬まで思うように作業できない日が続いていた。サイクル、という観点で考えれば、動いていた分、動けない日もやってくるのは当然だけど、動けない日が続くと気持ちが辛くなってくる。
9月に予定していたテストピースなどの素焼きがのびのびになり、そうしているうちに、成形していたご飯茶碗などのアラが目につき、整えているうちにあっという間に寒くなってきた。
そして、11月5日。 久しぶりの素焼き。
スカスカの窯になるかと思っていたら、案外いい具合に埋まっていた。
少し遅めの10時半過ぎにスタートし、22時半過ぎに終了。
色褪せてしまった木の看板を掘り直したり、甘酢を作ったり、満月を眺めながら。 終わってしまえば、たいしたことはない。
次のサイクルへ。
