八巻元子さんとのご縁と『クラシ・ヲ・アソブ』について

料理季刊紙「四季の味」元編集長の八巻元子さんに初めてお会いしたのは、3年ほど前の桜の季節でした。

2015年から、幼い娘がいる中で週に3日程度、父から指導を受けていたものの、父との関係がうまくいかなくなったりして、八方塞がりな気持ちが思い切った行動を引き起こしたのかも、と振り返っています。

もともと、横浜で開催される辰巳芳子さんの講演「92歳の私、今最も伝えたい食のこと」をどうしても聞きに行きたいと夫に相談してみたら、行ってみたらということになり、横浜に行くなら、と鎌倉の八巻さんに連絡してみたところ、とても素敵なお店に連れて行ってくださいました。

待ち合わせは鎌倉の江ノ電のホームで。私は、3歳の娘を連れて、着替えの入ったカートを車に忘れてしまったので身軽なのがかえって快適でした。「フィレンツェカラーのバッグとブーツ」を目印にということで、お会いする前に携帯電話の充電が切れるというアクシデントもありながら、なんとか合流することができました。

八巻さんが選んでくれたのは、サザン好きな私にはたまらない住所、稲村ヶ崎にある『日本料理 虹(こう)』というお店。

鎌倉駅でお会いした後、江ノ電の鎌倉駅から稲村ヶ崎駅まで乗車後、徒歩でお店まで約15分。幸い、娘も初めての旅に泣くこともなく、無事お店に到着しました。

初めてお会いしたのに、父が作った器を「四季の味」に30年くらい掲載していただき、編集部のご厚意で、記事と写真を父のホームページに掲載させていただいていて、その更新作業を本業の合間に私が請け負っていたこともあり、全く初めてお会いした気がしませんでした。

美しく、かつ、美味しい『虹』の蕗田さんのお料理を前にあっという間に時は流れました。

料理が美味しすぎて何を話したのか…主にお料理の話だったような気もします…幸せのひとときでした。

帰りはタクシー。娘は力尽き、荷物を持って抱きかかるのが本当に大変でしたが、無事宿に到着しました。

辰巳芳子さんのお話も、魚を食べよう(これからは海洋汚染で食べられなくなるかもしれない)ということをはじめ、食の大切さを改めて考えさせられました。


1日目、東京に到着。空港もオリンピックが近づいている気配。

2日目は20年来の友達と子連れでランチ。たまたま入ったお店の入り口に、銀座の和菓子屋さん『空也』がプロデュースする「そら色」という羊羹のリーフレットを見つけて勢いで、みんなで東海道線で品川へ。いつの日か空也のおも菓子もいただいてみたい。

改修の終わった東京駅。千葉から北海道へ引っ越して以来、2年ぶり。
ひっそり開かれていた蜷川実花さんの写真展
鮮やかな色彩のサラダ
京急品川駅から羽田空港へ。刺激的な旅も終わり。

さて、その後体調を崩したりして、お礼もできずにいたことをずっと気にしていました。
そうこうしている間に、KDDのDionのホームページ公開サービスが終了し、父のホームページの中で掲載していた料理季刊紙『四季の味』の記事も消えてしまっていたのですが、年末にかけて、データを復旧させることができました。


そこで、お会いしてから3年後、2020年5月、その旨八巻さんにご連絡したところ、とても喜んでくださり、私の器を使った写真と文章を提供してくださることになりました。そこで、八巻さんが書かれた記事を既に活動されている『クラシ・ヲ・アソブ』というカテゴリーに分類させていただくことになりました。
八巻さんは、『クラシ・ヲ・アソブ』という主宰していて、出汁をとるワークショップをされたり、Facebook等で独特の感性で執筆、活躍されています。

八巻元子さんが編集長をされていた時の料理季刊紙『四季の味』
氷室
むかし水はひじょうに貴重で、冬場に
切り出して水室に保存した。かつては
鶴岡八幡宮の本殿裏にも雪屋が置か
れ、富士山から運ばれた雪や氷が、将
軍の食卓に上ったとか。炎天下に切り
出された氷は、灼けつくような陽差し
にさらされて、長い眠りから目覚め、
澄んだ輝きを放ったのではないだろう
か。
寒天と砂糖を水に煮溶かした錦玉液
に、固く泡立てた卵白を混ぜ合わせて
流し缶に移し入れ、表面が固まる間際
に、レモンで香りづけした浅葱色の錦
玉液をそっと重ねる。しっかり固めて
無作為に切り分けると、凛然とした冷
気を放つ水片さながらとなった。
器 岩井孝道作メロン灰青白磁”水の
歌”八寸皿

【八巻元子さんのプロフィール】

料理季刊誌「四季の味」元編集長
三男二女の母
父は初代編集長の森須滋郎
鎌倉市在住